2011年12月30日金曜日

日本旅館「梅屋敷」に銅像が






日本旅館「梅屋敷」は中華民国の国父「孫文」が台湾来訪のおり、宿泊された史跡を記念するため現在は「逸仙公園」「国父史跡館」と命名されております。

大概こうゆう場所には銅像があるのですが、つい最近まで有りませんでした。ところが12/27日に訪れた時には正面入口に三民主義の本を片手にした孫文の銅像が立っていました。なんでも辛亥革命百周年の2日前にハワイ在住の孫文の孫、「孫穂芳」が寄贈したという事でした。


PS.
台北宿泊は日本人夫婦が経営するペンション悠遊村( http://longstay-you.blogspot.com )を、ご利用ください。悠遊村以外の民宿情報はこちらで⇒http://travel.blogmura.com/minshuku/
台湾情報・話題はBlog「悠遊村観光ガイド(台湾ミッスラン)」でチェクできます。

2011年12月24日土曜日

北京ダック  頣園 ★★★

 園 ★★★
ウエスティンホテルの地下B2にあるこの店は台北でも双璧の美味しい北京料理店です。事前予約をし、焼いてもらいます。焼きたての北京ダック、不味いはずがありませんね~。北京ダックが売りの店は数ありますが副村長の一押し店です。

やはり中華料理を食べるには人数が必要ですね。北京ダックをメインに1人1品の計算で12種類の料理を食べました。会計はNTD800/1人、これが一流ホテルの北京料理店の値段です。

その他「宋厨菜館」「龍都酒楼」「真北平餐廰庁」なども各々が特徴のある店で美味しいです。

各テーブルでこのようなサービスがされます。

絶妙の焼き加減

記念撮影に写った12名、年齢層もかなり開きがありそうですが、どんな関係なんでしょうね。北京ダックを食べる異業種交流会とでもしておきましょう。(笑)




2011年12月4日日曜日

京都の秋を「ちゃんこ鍋」で楽しむ



日本の秋味を京都西院で旧知の友と鍋をつつきながら楽しむ。京都の洗礼された野菜、地鶏、近江牛がハーモナイズされた「ちゃんこ鍋」最高でした。京都の隠れ家「串虎」。「1年を10日で暮らす良い男」、この店は「1年を半年で暮らす・・・・」、食材が揃う11月~4月のみ営業しております。

MENU

鶏のたたき
 

豪快に盛付された京野菜。さ~て、食うぞ!

「ちゃんこ」後の近江牛のしゃぶしゃぶ 

 〆の雑炊

 今夜のちゃんこ鍋の友、芋焼酎「かめのしずく」

2011年11月30日水曜日

番外編 「和風中国料理」


台湾では日式料理という看板をそこら中で見ますが、日本にも有りましたよ、こんな看板が。

和風中国料理


2011年11月25日金曜日

「悠遊村」スパゲティ

悠遊村」スパゲッティ
冷蔵庫整理の野菜スパゲティーとはいえ本当に美味しいですよ!。一緒に悠遊村で食べませんか。
写真↴

日本の秋  「雪迎え」「小春日和」

日本の秋は美しい!!!!。
紅葉が始まりました。
 実りの秋
 寒椿? さざんか?

 
東北地方では秋晴れの日に「雪迎え」という現象が今年も起きた事だろう。空中に伸ばした何千ものクモの糸が太陽の光を受けキラキラ光りながら空中を浮遊する様をゆうそうだ。それはそれは神々しいまでの美しさらしいです。
この雪迎えが過ぎると厳しい雪の季節が訪れます。震災に遭われた方々の冬準備は完了しているんでしょうか?。来年はこの光景を心穏やかに鑑賞できる状況になって欲しいですね。

今日はぽかぽかとした気持ちの良い日和でした。晩秋から初冬にかけての穏やかで暖かい陽気の日々を春に似ている事から「小春日和」と言うらしいです。
お隣の中国ではこのような日和を「小春の陽気」というようなので、これも中国伝来の言葉かな?。その他では、インディアン・サマー(アメリカ)、老婦人の夏(ドイツ)、聖ルカ祭の夏(イギリス)、女の夏(ロシヤ)などが同じ陽気を表現する言葉らしいです。


「普茶料理」

「普茶料理」坂口楼 ★★

江戸時代初期中国福建省から禅宗の一つである黄檗宗の伝来と一緒に伝わった中国式の精進料理が普茶料理である。法要や仏事の終了後に僧侶や檀家が一堂に会し、茶を飲みながら重要事項を協議する茶礼に出された食事が原型となっている。

一つの長方形の座卓を4人で囲み、一品ずつの大皿料理を分け合って食べるという様式が非常に珍しがられた。料理においても中国風のものが多く、巻繊・油磁・雲片・「もどき」料理などがある。
こうした普茶料理は、精進料理というよりは異国情緒を味わうものとして黄檗宗の寺院ばかりでなく、料理屋や文化人など、民間でも広く嗜まれた。

写真↴

2011年11月18日金曜日

友引に友来る

2011.11.18.(金、友引)大阪より悠遊村の激励に友人が宿泊に駆けつけてくれました。感謝!。

ウエルカムドリンクで乾杯写真↴

2011年11月17日木曜日

悠遊村プレオープン

10月末から今週の中にかけて日本から大勢の観光客が台湾にお越しになられました。日本の皆様の熱気が台湾に伝わったのか、秋風が吹き始めていた台北も夏に逆戻りの熱さでした。

事前に気候の御問合せを受けた方には秋風が吹いてますよとお答えをしていたので、慌てて半袖をご購入された方もいたようです。台湾の消費アップに少しは貢献したようです(アハハハハ)。

本日は悠遊村のプレ・オープンです。台北シャングリラ・ファーイースタンプラザHのフロアーマネージャーご夫妻にお泊りいただいて最終チェックをしていただきます。

悠遊村写真↴



2011年11月8日火曜日

原住民族産業博覧会

ツオ族の若者と










花博跡地で開かれている「原住民族産業博覧会」に行く。原住民族の間にいろいろな日本語が残っているのを聞いて親近感が増す。
写真↴

2011年11月4日金曜日

林森公園に有る日本式鳥居

台北林森公園に大小の日本式鳥居が有る。第7代総督明石元二郎とその秘書官鎌田生威の墓前に建てられていた鳥居です。
一時期は228公園に建てられていたが、今は「三板橋共同日本人墓地」現在の林森公園に移築されている。
公園前には日本語の喋れる老板娘のいる天仁銘茶店があります。サービス満点です。



天仁銘茶の店内


PS.
台北宿泊は日本人夫婦が経営するペンション悠遊村( http://longstay-you.blogspot.com )を、ご利用ください。

2011年11月1日火曜日

「芝山公園」

「芝山公園」★★☆

ペンション悠遊村の散歩コースに教育の聖地と言われる「芝山公園」が有ります。ここに設立された国語塾「芝山巌学堂」を舞台に1896年(明治29年元旦)に日本人教師6人と小使1人が土匪に惨殺される「芝山巌事件」が起きています。殉職者=関口長太郎(38歳) 平井数馬(18歳) 楫取道明(39歳) 井原順之助(24歳) 桂金太郎(27歳)中島長吉(27歳)
日本統治に反対する叛乱勢力が元旦を期して台北を攻撃するという事は事前に予測されておりました。教育に命を懸けていた教師達は「芝山巌学堂」から避難することをせず、襲撃を受けた際には、ひるむことなく教育の重要さを必死に説いたという事です。

このような彼らの教育に対する情熱、精神は多くの人々に感銘を与え、その精神は芝山巌精神と称されました。芝山巌は“教育聖地”と讃えられ1930年(昭和5年)この地に「芝山巌神社」が創建され六氏先生をはじめとして、台湾教育に殉じた人々が祀られた。 当然、台湾人教育者も含まれています。

国語塾「芝山巌学堂」は1895年(明治28年)日清講和条約で台湾の割譲を受けた、そのわずか数か月後の7月に開校されている。これには当時、文部省学務部長心得であった伊沢修二の、教育を最優先すべきとの具申を初代台湾総督樺山資紀が受け入れたと云う事だ。

ペンション悠遊村の有る士林という地名は広辞苑を見ると「士」=学問、道徳などを身にそなえた尊敬に値する人物、「林」=樹木が沢山集まって生えているところ、とある。地名由来と関係が有るのか無いのか学校の実に多い地域だ。

写真↴
国語塾「芝山巌学堂」は「芝山巖惠濟宮」の後殿を使って開設された。戦後、惠濟宮の住職は国民党によって破壊されていた六氏先生之墓跡から遺骨を密かに移し、小さな石塔を建てて長い間守ってくれました。
戦後、倒され放置されていた伊藤博文揮毫の「學務官僚遭難之碑」
立て直された状態の良い「故教育者姓名碑」。台湾人教育者の名も刻まれています。

周辺には破壊され放置されている碑が数個あり、これも歴史を物語るものとして貴重な資料です。
芝山巌の頂上に建立された殉職「六氏先生之墓」。
芝山巖學堂が開設されて百年目の1995年(平成7年)後身の士林国民小学校の卒業生有志によってお墓は再建された。
開校3か月後の(1895年明治28年)10月19日には第一期学生7名が卒業しております。
PS.
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2011年10月31日月曜日

悠遊村「おでん」パーティー

日本から密輸(笑)のネタの「おでん」と皆さんが持ち込んでくれた秘蔵の日本食品でパーティーを悠遊村のオープンテラスでしました。
この後は原会長主催の「湯けむりを楽しむ泉遊会」に全員で流れ込みました。場所は紗帽谷の洞窟の中で温泉を楽しむ黄金温泉でした。
台湾ではオデンが訛ってオレンと言いますので正式には「おれんパーティー」かな?

写真↴

2011年10月28日金曜日

賽徳克巴菜 彩虹橋

昨日、天母の三越にある映画館で後編「彩虹橋」を観る。

「我々の魂が行く先に虹の橋がある、その入り口には先祖様の霊が待っている。男はより多くの敵をあやめその首を狩り、両手を血まみれにする、顔には勇士の印が刻む。そうすれば先祖様はセデックバレ(栄光ある戦士)として認めてくださり、橋を渡ることをお許しになるのだ。」

異民族の日本人への武装蜂起、同じ族が敵味方で殺しあう、などが上の言葉で理解できる気がする。

「我々が100年前に失った武士道をこの地でみた」と発する日本軍司令官の言葉に少し考えさせられるものが有る。

セディク族出身の警察官が妻を殺し、自分も切腹する場面↴

温泉「馬槽花芸村」

「馬槽花藝村」 ★★★☆
悠遊村から30分も有れば湯の里が数か所有ります。
師走のせわしなさから逃れて、と書きたいところですが台湾ではそれも無く友人達と連れだって陽明山の馬槽花芸村温泉に行って来ました。
湯質は硫黄、泥風呂もあります。綺麗な山並みの景色に身を置き陽明山の風に吹かれ白濁の柔らかい湯質の湯に身を横たへ、流れる雲を眺める、最高の贅沢ですね。温泉の後は近所で陽明山の山野菜に舌つづみ、心が洗われます。

写真↴


過去記事↴

映画「賽徳古・巴莱」太陽旗no.3



彼らは中央山脈の真っただ中で天を飛ぶもの、地を駆け回るもの、水に泳ぐものと共存する狩猟生活を送っていた。日本の統治下にはいると彼らの伝統、信仰は制限されていく事になる。

「漢人との交易禁止」「子供の就学」「銃使用の許可制」「入墨の禁止」「低賃金の肉体労働」「日本人との婚姻」「出草の禁止」「帰順の証拠の武器・ドクロの供出」などの場面を通し、セディックの人々の伝統や信仰が失われていく様子が描かれている。

原住民の「出草=首狩り」の場面が多く写しだされるが、この意味を知る事によって更に理解が深まるのではないでしょうか。

この事件の起きた1930年(S5)は南部で日本人の英知を傾けた烏山頭ダムの完成が有り、霧社では「民族の尊厳」を取り戻そうとする原住民の抗日武装蜂起が勃発した。

「出草=首狩り」↴

映画「賽徳古・巴莱」太陽旗no.2 モーナ・ルダオについて 

1930年当時の霧社
 
 
 
 
 
 
 


ベネチア国際映画祭では残酷な場面が多すぎるとの評論も有ったようです。しかし、必然性のある場面が多かったというのが私の感想です。

父ルーダオ・バイの死後、マヘボ社の頭目を世襲する。名前モーナ・ルーダオは「父ルーダオの子であるモーナ」という意味である。

モーナ・ルーダオはマヘボ社など霧社セデック族の6社を率い日本人公学校を襲撃した後、山に籠り日本軍と交戦する。日本人公学校での殺戮は日本人に限りおこなわれており、事件の起きた公学校周辺は彼らの狩猟場だったらしい。当時、霧社にはセデック族村落が11社あり、およそ2200名が住んでいたという事なので半数以上が武装蜂起をしたという事だ。

霧社セディク族は、1910年日本に帰順するまでの間、多くの犠牲者を出し最後まで抵抗を続けた原住民である。モーナ・ルダオは帰順後に他の原住民の頭目達とともに日本観光に招かれたりしているのだが、対日蜂起をあきらめておらず戦闘準備をする様子が映画で描かれている。

彼ら原住民は村落単位で生活をしており猟場を巡る争いが村同士であり、少なからぬ因縁があったようだ。そしてこの争いが日本軍に利用され民族同士の戦闘になっている。モーナ・ルダオの頭目としての実力は霧社セデック族の中で高く評価されているようですが、この映画を見た原住民の老婆が、こんな英雄ではないと言ったというエピソードもあります。多分、反目した、村の出身者なんだろう。

PS.
「頭目」という日本語は、現在も使われており、発音は「トームー」と変化しております。

写真↴

映画 「賽徳古・巴莱」 太陽旗  no.1

「賽徳古・巴莱」 は前後編で成り立っており今回は前篇太陽旗を見た。ちなみに後編は9/30からだ。前篇は何故「霧社事件」が起きたかの解説編だった。賽徳古・巴莱はセディック語で「真の人」という意味です。

御用船横浜丸の船上で台湾総督の樺山資紀と清国側全権・李経芳で行われた台湾引渡し調印式(1895’5/29)のシーンから始まり、台湾民主国との戦闘場面へと続く。

海上(台湾東北端の三貂角沖)での引渡しは普通ではないが、これは台湾割譲に反発した清国の残党が唐景松を大統領に台湾民主国を建国(1895’5/25)したからだ。この勢力は基隆付近から上陸した北白川宮能久親王が率いる近衛師団に数か月で鎮圧さる。
北白川宮能久親王の戦死状況が日本武尊と似通っている為、後に台湾神社に祭られる(現・圓山大飯店)

いよいよこの後、何故「霧社事件」が起きたのかという場面が続いて行く。

ps.1
日清講和条約は下関の春帆楼で締結された(1895’4/17)。余談、大阪道頓堀に支店が有りますよ。
ps.2
御用船横浜丸の船上調印式の裏付けを取るのに「からすちゃん」に大変なお世話になりました。

台湾民主国旗写真↴

2011年10月27日木曜日

台湾にも有る琉球

魚の化石

台湾南部に屏東という都市があり、そこから船で30分ぐらい走ると小琉球という島があります。サンゴ礁の有る美しい島でダイビングのメッカになっています。

子供の頃わくわくしながら見た東映の時代劇では沖縄を琉球といっていましたよ~。本土復帰するまでの沖縄はやはり琉球政府という呼称が使われていた。「沖縄、台湾、一帯を昔の中国では琉球と呼び、後に沖縄は朝見したので大琉球、朝見しなかった台湾を野蛮な国として小琉球と呼んだ」という事をものの本で読んだ記憶があります。

今回この呼称に興味を持ち訪れました。素晴らしい海に囲まれた美しい島でした。のんびり釣りをしながら数日過ごしたい島ですね。

写真↴


2011年10月26日水曜日

台湾の四猿

日本には有名な三猿が日光東照宮にいますね。それより一つ多い四猿が台南・神源山義和聖堂(台南市官田区社子村19号)のお寺にいました。別に頭数争いをしてるわけではないのでしょうから私だけの興味です。

日光東照宮の三猿の教えは「幼少期には悪事を見ない・言わない・聞かない方が良い」という教えらしいのでこちらのお寺とは多分意味が違うのかな。

「見ざる」「言わざる」「聞かざる」「触れざる」   写真↴

2011年10月19日水曜日

MRT駅名のいわれ(北投・唭哩岸・石碑)

「北投」原住民ケタガラン族の「パッタオ」という小さな集落だった。それに漢字の「北投」を当てた。

「唭哩岸」石の山という意味の原住民の言葉。

「石碑」原住民と入植してきた漢民族の居住境界線に石造りの碑を立てた。それが駅名になっている。
写真↴


2011年10月16日日曜日

佳山旅館

「佳山旅館」★★★  現:北投文物館
【建物】1925年(大正14年)竣工。市定古跡。
【設計】
【場所】MRT新北投駅徒歩25分。台北市北投区幽雅路32号。

この建物は1920年代以降、陸軍が士官倶楽部・招待所として使用していた。太平洋戦争の戦況が悪化していくと、ここは特攻隊として飛び立っていく青年たちが、最後の一晩を過ごす場所になっていた。畳敷きの大広間では、尊い命を祖国に捧げる若者たちの人生最後の宴会場だった。
原型に対して忠実な修復が行われ往時の雰囲気が保たれており、日本舞踊や茶道体験など、日本の伝統芸能に触れることができる空間として生まれ変わった。


佳山旅館IMGP5403-thumbnail2.jpg
PS.
台北宿泊は日本人夫婦が経営する民宿悠遊村( http://longstay-you.blogspot.com )。

2011年10月14日金曜日

台湾台南市と日本尼崎市



 

台南市と云えば台湾の英雄「鄭成功」所縁の地ですが、その鄭成功を国勢爺合戦で取り上げた浄瑠璃作家「近松門左衛門」の菩提寺が尼崎市北部の若王寺(地名)に有ります。

ここは私が少年期を過ごした思い出深い地で、私の台南好きはこんな関係が影響しているのかも知れないです。

写真↴

2011年10月8日土曜日

焼肉は大阪や~。

焼肉はやっぱり大阪や! 放射能汚染~、関係有るかいな~、食いたおしたろ。

台北宿泊は日本人夫婦の民宿悠遊村( http://longstay-you.blogspot.com )。

2011年10月5日水曜日

阪神淡路大震災復興イベント

去る2011.10/1&2、西宮神社(通称・西宮戎)で西宮酒蔵ルネサンスと食フェアが開催されました。今年は第15回です。阪神淡路大震災の復興イベントとして始められたもので早や15年が経っております。

お祭りの模様写真↴

2011年10月3日月曜日

明治橋







台北を南北に走る中山路、台湾の歴史を語る上では素通りできない大通りです。そこに中山橋が架かっています、日本時代は明治橋と言われていた橋です。

明治橋を撤去した遺材は歴史的価値のある物として、道路高架前は市民プールが有った場所にシートにくるまれ保管されています。そして同じ場所の道路橋桁の間に埋もれるように少年像が建っています。この少年は水難にあった人を助けようとして自ら命を落とした少年の像だとの事でした。



PS.
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2011年9月21日水曜日

おもしろペット麝香豚

ワシは外国生まれのミニ豚やねん。生まれは沖縄や~。沖縄から台湾にきて早や10年経ってもうたわ。 毎日食い過ぎてちょっと太り気味やけどな、せやけど毎日毎日、南国フルーツ食べさせてもろうて極楽極楽や~。ほんま台湾はええ国や~。

ところで、あんた、ワテを触ってもええよ、ど~や、ええ匂いやろ~。 わしは麝香豚と云うもんや、覚えとき! 今日一日中、ワシの匂いから逃げられへんで~。おかんが大阪出身やさかい喋るのが大阪弁になってまうねん。しゃないわな~。

写真↴

2011年9月9日金曜日

桃園空港に近い 「竹圍漁港」★★☆

「竹圍漁港」 ★★☆
「漁港と夕陽」、ロマンチストじゃなくても夕陽を見るとこみ上げるものがありますね。国際空港に近いわりにはアクセスが悪いので全く観光客向けの魚市場ではないです。1階で買った魚介類を2階で調理してくれます。



2011年9月5日月曜日

蒋経国の孫娘・蒋友梅さんの個展

蒋一族について多少興味があるかな?
蒋介石の息子蒋経国の孫娘・蒋友梅さんが英国より帰国され「心友 SPARK」と題した個展を開かれました。
写真↴


2011年9月1日木曜日

紗帽山の櫻崗温泉

8月最後の夜、紗帽山の櫻崗温泉に愉快なメンバーが揃う。屋上で風に吹かれ美味しい料理に舌鼓をうちながら飲むビールは最高です。
ご機嫌な事に屋上のビヤホールからも浴槽からも台北のランドマーク101が暗闇にくっきり浮かび上がり夜景もバッチリの夜でした。
写真↴

2011年8月31日水曜日

海外暮らしの第一歩

ロングステイの実現には大事な要素が種々有ります。なかでも候補地の情報収集が一番大事な事ではないでしょうか。

世界各地で既にロングステイを開始されておられる方も多数おられ、現地情報を流されておられます。これらの情報、旅行代理店や雑誌を通しての情報などで座して情報収集ができる時代です。ところが鮮度の問題で、これらの情報と現地の様子がかなり食い違うなどの情報ギャップが大きいという声もかなりあります。
観光ではなく生活体験をすることが主目的のロングステイの場合は、やはり現地在住者でローカル情報に詳しいサポーターの協力を得て、数週間の現地生活を体験する事が大事でしょう。


下見、生活体験を何年もしたにもかかわらずロングステイへの踏ん切りがつかない、これは何故でしょうか?自分が信頼できる、安心できる、楽しめる、コミュニティ、知人、友人が見つけられないからです。見つける方法がわからないからです。

台湾には沢山の日本人が在住しております。まずは、その人たちのコミュニティに飛び込み輪を広げる事です。そうすれば未知の体験、新しい世界が開けます。これこそロングステイの醍醐味でしょう。ロングステイには体力も若さも必要です。さあ決断しましょう。

(仮称)ロングステイ・サポートセンター悠遊村がしっかりお手伝いいたします。

2011年8月28日日曜日

[Petrus1976'] エチケット







[Petrus1976'] ★★★★★天国の門の鍵を持つ聖ペトロのラテン語名を冠した神の宿る葡萄酒ペトリュスはBordeaux 右岸Pomerolの農家のような質素なシャトー、小さな畑から生まれる。 公式格付けが有れば文句なく第1級格付けだ。
「Peturus 1976’」
1999’5/27に飲むも未だ未だ飲み頃には早かった。が、どっしりとした芳醇で濃厚で凝縮された最高位の瓶からはメルロの歌声が聞こえてくるようだった。
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2011年8月25日木曜日

「後藤新平」民政長官の銅像

「国立博物館」
第4代台湾総督児玉源太郎の元での後藤新平の活躍は既に皆様の知るところです。それ以前の総督時代は抗日勢力の鎮圧が主目的になっていた。児玉源太郎総督以後は後藤新平の進言をいれ硬軟双方を折衷した政策で台湾統治を進めていく事になる。

後藤新平の台湾統治論を後藤新平の言葉を引用し説明しますと、
「社会の慣習とか制度とかいふものは、皆相当の理由があって、永い間の必要から生まれてきてゐるものだ。その理由を弁へずに無闇に未開国に文明国の制度を実施しようとするのは、文明の逆政(虐政)といふものだ。そういうことをしてはいかん。だから我輩は、台湾を統治するときに、先ずこの島の旧慣制度をよく科学的に調査して、その民情に応ずるように政治をしたのだ。これを理解せんで、日本内地の法政をいきなり台湾に輸入実施しようとする奴等は、比良目の目をいきなり鯛の目に取り替へようとする奴等で、本当の政治といふことのわからん奴等だ」

戦前の日本と台湾の関係は欧米諸国の植民地政策の様な植民地からの搾取が目的ではなく、内地日本が豊かでない時期にも関わらず台湾開発に力を入れ、共に近代化への道を歩んで行ったという事ではないでしょうか。

国立台湾博物館に陳列されている立像
国民党の破壊から免れ国立博物館の倉庫から出てきた「民政長官後藤新平」の銅像。

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2011年8月24日水曜日

日本料理「有明屋」  日本語教室同級会 

台湾には教師の日が有るらしく日本語教室の生徒さん達主催の食事会に御招待されました。食事処は福島県出身の無口な親父が切盛りしている「有明屋」さんです。

其々が好きなものを注文し、お喋りをしながらの会食、楽しいひと時でした。安い、美味い、無愛想、私の好きな3拍子揃った大人の店です。
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2011年8月22日月曜日

「山佳」駅  台湾鉄道

台北駅から程近い陶器の町で有名な「鶯歌」駅の隣駅「山佳」の木造駅舎です。

この木造駅舎は1903年(明治36年)に建設され100年を経た今なお可愛い姿でぽつんと建っています。現役で鉄道利用者を見守っておりますが残念ながら来春には新駅舎の完成と共に消えていく運命なんでしょうか。戦後半世紀の年月が過ぎると、一つまた一つと日本人の汗と血が染込んだ建物が消えてゆきます。

この一帯には国立台北大学、行天宮経営の病院、ニュータウンなどが有り、台北のベッドタウンとしてこれからますます開けていくのでしょう。




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夢湖

「夢湖」 ★★☆
台北の裏山「五指山」に隠れた撮影スポットが有る。記念撮影のスポットになっているらしく、この日も数名のカップルが訪れていた。個人所有の小さな湖で素晴らしく整備されている。

あまり晴れた日よりも、霧雨の降るような日が撮影のベスト日かな?。大自然のなかで飲むコーヒータイムは穏やかな時間を運んでくれますよ。


台北の宿泊は日本人夫婦経営の民宿「悠遊村」がお勧めです。