2011年10月31日月曜日

悠遊村「おでん」パーティー

日本から密輸(笑)のネタの「おでん」と皆さんが持ち込んでくれた秘蔵の日本食品でパーティーを悠遊村のオープンテラスでしました。
この後は原会長主催の「湯けむりを楽しむ泉遊会」に全員で流れ込みました。場所は紗帽谷の洞窟の中で温泉を楽しむ黄金温泉でした。
台湾ではオデンが訛ってオレンと言いますので正式には「おれんパーティー」かな?

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2011年10月28日金曜日

賽徳克巴菜 彩虹橋

昨日、天母の三越にある映画館で後編「彩虹橋」を観る。

「我々の魂が行く先に虹の橋がある、その入り口には先祖様の霊が待っている。男はより多くの敵をあやめその首を狩り、両手を血まみれにする、顔には勇士の印が刻む。そうすれば先祖様はセデックバレ(栄光ある戦士)として認めてくださり、橋を渡ることをお許しになるのだ。」

異民族の日本人への武装蜂起、同じ族が敵味方で殺しあう、などが上の言葉で理解できる気がする。

「我々が100年前に失った武士道をこの地でみた」と発する日本軍司令官の言葉に少し考えさせられるものが有る。

セディク族出身の警察官が妻を殺し、自分も切腹する場面↴

温泉「馬槽花芸村」

「馬槽花藝村」 ★★★☆
悠遊村から30分も有れば湯の里が数か所有ります。
師走のせわしなさから逃れて、と書きたいところですが台湾ではそれも無く友人達と連れだって陽明山の馬槽花芸村温泉に行って来ました。
湯質は硫黄、泥風呂もあります。綺麗な山並みの景色に身を置き陽明山の風に吹かれ白濁の柔らかい湯質の湯に身を横たへ、流れる雲を眺める、最高の贅沢ですね。温泉の後は近所で陽明山の山野菜に舌つづみ、心が洗われます。

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過去記事↴

映画「賽徳古・巴莱」太陽旗no.3



彼らは中央山脈の真っただ中で天を飛ぶもの、地を駆け回るもの、水に泳ぐものと共存する狩猟生活を送っていた。日本の統治下にはいると彼らの伝統、信仰は制限されていく事になる。

「漢人との交易禁止」「子供の就学」「銃使用の許可制」「入墨の禁止」「低賃金の肉体労働」「日本人との婚姻」「出草の禁止」「帰順の証拠の武器・ドクロの供出」などの場面を通し、セディックの人々の伝統や信仰が失われていく様子が描かれている。

原住民の「出草=首狩り」の場面が多く写しだされるが、この意味を知る事によって更に理解が深まるのではないでしょうか。

この事件の起きた1930年(S5)は南部で日本人の英知を傾けた烏山頭ダムの完成が有り、霧社では「民族の尊厳」を取り戻そうとする原住民の抗日武装蜂起が勃発した。

「出草=首狩り」↴

映画「賽徳古・巴莱」太陽旗no.2 モーナ・ルダオについて 

1930年当時の霧社
 
 
 
 
 
 
 


ベネチア国際映画祭では残酷な場面が多すぎるとの評論も有ったようです。しかし、必然性のある場面が多かったというのが私の感想です。

父ルーダオ・バイの死後、マヘボ社の頭目を世襲する。名前モーナ・ルーダオは「父ルーダオの子であるモーナ」という意味である。

モーナ・ルーダオはマヘボ社など霧社セデック族の6社を率い日本人公学校を襲撃した後、山に籠り日本軍と交戦する。日本人公学校での殺戮は日本人に限りおこなわれており、事件の起きた公学校周辺は彼らの狩猟場だったらしい。当時、霧社にはセデック族村落が11社あり、およそ2200名が住んでいたという事なので半数以上が武装蜂起をしたという事だ。

霧社セディク族は、1910年日本に帰順するまでの間、多くの犠牲者を出し最後まで抵抗を続けた原住民である。モーナ・ルダオは帰順後に他の原住民の頭目達とともに日本観光に招かれたりしているのだが、対日蜂起をあきらめておらず戦闘準備をする様子が映画で描かれている。

彼ら原住民は村落単位で生活をしており猟場を巡る争いが村同士であり、少なからぬ因縁があったようだ。そしてこの争いが日本軍に利用され民族同士の戦闘になっている。モーナ・ルダオの頭目としての実力は霧社セデック族の中で高く評価されているようですが、この映画を見た原住民の老婆が、こんな英雄ではないと言ったというエピソードもあります。多分、反目した、村の出身者なんだろう。

PS.
「頭目」という日本語は、現在も使われており、発音は「トームー」と変化しております。

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映画 「賽徳古・巴莱」 太陽旗  no.1

「賽徳古・巴莱」 は前後編で成り立っており今回は前篇太陽旗を見た。ちなみに後編は9/30からだ。前篇は何故「霧社事件」が起きたかの解説編だった。賽徳古・巴莱はセディック語で「真の人」という意味です。

御用船横浜丸の船上で台湾総督の樺山資紀と清国側全権・李経芳で行われた台湾引渡し調印式(1895’5/29)のシーンから始まり、台湾民主国との戦闘場面へと続く。

海上(台湾東北端の三貂角沖)での引渡しは普通ではないが、これは台湾割譲に反発した清国の残党が唐景松を大統領に台湾民主国を建国(1895’5/25)したからだ。この勢力は基隆付近から上陸した北白川宮能久親王が率いる近衛師団に数か月で鎮圧さる。
北白川宮能久親王の戦死状況が日本武尊と似通っている為、後に台湾神社に祭られる(現・圓山大飯店)

いよいよこの後、何故「霧社事件」が起きたのかという場面が続いて行く。

ps.1
日清講和条約は下関の春帆楼で締結された(1895’4/17)。余談、大阪道頓堀に支店が有りますよ。
ps.2
御用船横浜丸の船上調印式の裏付けを取るのに「からすちゃん」に大変なお世話になりました。

台湾民主国旗写真↴

2011年10月27日木曜日

台湾にも有る琉球

魚の化石

台湾南部に屏東という都市があり、そこから船で30分ぐらい走ると小琉球という島があります。サンゴ礁の有る美しい島でダイビングのメッカになっています。

子供の頃わくわくしながら見た東映の時代劇では沖縄を琉球といっていましたよ~。本土復帰するまでの沖縄はやはり琉球政府という呼称が使われていた。「沖縄、台湾、一帯を昔の中国では琉球と呼び、後に沖縄は朝見したので大琉球、朝見しなかった台湾を野蛮な国として小琉球と呼んだ」という事をものの本で読んだ記憶があります。

今回この呼称に興味を持ち訪れました。素晴らしい海に囲まれた美しい島でした。のんびり釣りをしながら数日過ごしたい島ですね。

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2011年10月26日水曜日

台湾の四猿

日本には有名な三猿が日光東照宮にいますね。それより一つ多い四猿が台南・神源山義和聖堂(台南市官田区社子村19号)のお寺にいました。別に頭数争いをしてるわけではないのでしょうから私だけの興味です。

日光東照宮の三猿の教えは「幼少期には悪事を見ない・言わない・聞かない方が良い」という教えらしいのでこちらのお寺とは多分意味が違うのかな。

「見ざる」「言わざる」「聞かざる」「触れざる」   写真↴

2011年10月19日水曜日

MRT駅名のいわれ(北投・唭哩岸・石碑)

「北投」原住民ケタガラン族の「パッタオ」という小さな集落だった。それに漢字の「北投」を当てた。

「唭哩岸」石の山という意味の原住民の言葉。

「石碑」原住民と入植してきた漢民族の居住境界線に石造りの碑を立てた。それが駅名になっている。
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2011年10月16日日曜日

佳山旅館

「佳山旅館」★★★  現:北投文物館
【建物】1925年(大正14年)竣工。市定古跡。
【設計】
【場所】MRT新北投駅徒歩25分。台北市北投区幽雅路32号。

この建物は1920年代以降、陸軍が士官倶楽部・招待所として使用していた。太平洋戦争の戦況が悪化していくと、ここは特攻隊として飛び立っていく青年たちが、最後の一晩を過ごす場所になっていた。畳敷きの大広間では、尊い命を祖国に捧げる若者たちの人生最後の宴会場だった。
原型に対して忠実な修復が行われ往時の雰囲気が保たれており、日本舞踊や茶道体験など、日本の伝統芸能に触れることができる空間として生まれ変わった。


佳山旅館IMGP5403-thumbnail2.jpg
PS.
台北宿泊は日本人夫婦が経営する民宿悠遊村( http://longstay-you.blogspot.com )。

2011年10月14日金曜日

台湾台南市と日本尼崎市



 

台南市と云えば台湾の英雄「鄭成功」所縁の地ですが、その鄭成功を国勢爺合戦で取り上げた浄瑠璃作家「近松門左衛門」の菩提寺が尼崎市北部の若王寺(地名)に有ります。

ここは私が少年期を過ごした思い出深い地で、私の台南好きはこんな関係が影響しているのかも知れないです。

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2011年10月8日土曜日

焼肉は大阪や~。

焼肉はやっぱり大阪や! 放射能汚染~、関係有るかいな~、食いたおしたろ。

台北宿泊は日本人夫婦の民宿悠遊村( http://longstay-you.blogspot.com )。

2011年10月5日水曜日

阪神淡路大震災復興イベント

去る2011.10/1&2、西宮神社(通称・西宮戎)で西宮酒蔵ルネサンスと食フェアが開催されました。今年は第15回です。阪神淡路大震災の復興イベントとして始められたもので早や15年が経っております。

お祭りの模様写真↴

2011年10月3日月曜日

明治橋







台北を南北に走る中山路、台湾の歴史を語る上では素通りできない大通りです。そこに中山橋が架かっています、日本時代は明治橋と言われていた橋です。

明治橋を撤去した遺材は歴史的価値のある物として、道路高架前は市民プールが有った場所にシートにくるまれ保管されています。そして同じ場所の道路橋桁の間に埋もれるように少年像が建っています。この少年は水難にあった人を助けようとして自ら命を落とした少年の像だとの事でした。



PS.
台北宿泊は日本人夫婦が経営する民宿悠遊村( http://longstay-you.blogspot.com )。