2012年6月28日木曜日

放置された軍施設

蒋介石の別邸「士林官邸」前の三叉路の写真です。悠遊村からの散歩中に見つけた物です。道路が三叉路になっている場所なのでポリボックスなと思ったのですが、様子が少し違っています。
窓には鉄板が張られ10cm程度の開口、地面近くにも四面に小さな開口が設けられています。機関銃の銃口です。

軍の施設ながらいかにも台湾風の建物で、面白いなと思って写真を撮ったのですが、よくみると階段は傾いた状態で現在は使用されていません。
写真↴

2012年6月25日月曜日

ドラゴンボートレース

日本では5月5日は子供の日、台湾では旧暦の5月5日は端午節です。今年は新暦の6月23日が旧暦の5月5日と云う事で 台北を流れる基隆河でドラゴンボートレースが行われました。

日本では長崎市と兵庫県の相生市でドラゴンボートレースが行なわれます。両市とも以前は造船所で有名でしたね。名称はペーロン祭り、たぶん白龍(パイロン)が訛ってペーロンになったのかな?
写真↴

2012年6月23日土曜日

台湾人の発想は面白すぎ~~~

所変われば品変わる。台湾の食堂に入ったら扇風機は回っているはクーラーはガンガンに効いているは店の中を風が走り回っています。
そこで考えられたのが写真の様な金具です。ご覧になられていると思いますが、こんな事私達思いつきますか?
写真↴

2012年6月20日水曜日

「燕餃」作り。餃子じゃないですよ!

福州名物の燕餃を作る手順です。非常に美味しいのですが手間がかかる料理です。料理には関係有りませんが、現在の福州市は明代には琉球王国との交易指定港でした。
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2012年6月18日月曜日

お料理上手

お料理上手なお上さんを持つと毎晩が楽しいですね(^-^)。今日はじっくりワインで煮込んだ牛肉ソースのスパゲッティでした。

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2012年6月14日木曜日

蘭好きの必見ポイント「士林官邸」

悠遊村散歩コースの士林官邸に蘭を展示している建物があります。OPENスペースなんで希少な種類は置いて無い様ですがどれも美しいものでした。未熟ながら私の写真をご覧ください。

写真(22枚)↴




















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2012年6月12日火曜日

林田桶店の名物親父

年輪を感じさせるオヤジそして檜の桶、最高の絵になる光景ですね
親父とはお話もさせていただいたので以前と変わった店の様子が少し気になる。

以前の写真↴

行列のできる紅豆餅さん

MRT淡水線の民権西路駅、中山北路と民権東路の交差点から徒歩5分の所に「晴光市場」が有る。往時は舶来品を扱う国際市場と地元ではいわれ、活気のある市場だったようだ。米軍関係者の撤退後、かなり寂れ気味だ。それでもガイドブックに出ているのか悠遊村のお客さんを連れ両替やカラスミを買いに行った時、日本人に出くわす事がある。

ここに、日本風に言うと回転焼きの店が有る。こちらでは紅豆餅というらしい。いつも行列ができているので買った事が無い。今日は数名だ。並ぶ事にする。順番待ちの間、店員さんの手元を見ていると、ビックリするほどのアンコの量だ。中味の種類は「あずきアン」「クリーム」「干し大根」の3種類ある。友人の会社で試食会をしたが・・・・。日本の回転焼きとは、似て非なるものでした。


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番外編 行きつけの餃子店(神戸)★★

台湾では餃子といえば普通は水餃子のようだ。餃子専門店でも、焼き餃子を食べる人は少数派みたいです。雰囲気に乗り易い私は、台湾では、なんとなく水餃子が美味しく感じる。

日本ならば、やはり餃子といえば焼き餃子。帰国時には必ずJR神戸元町駅前の「ひょうたん」へ食べに行きます。餃子を焼くのはこの道、何十年のベテランおばちゃんだ。このおばちゃんの焼いた餃子を10年以上は食べているかな?

黒い味噌様のものに付けて食べます。ミンチ肉をごとごとと炊き、タレづくりをしているのを見た事が有る。


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高雄で在来線と新幹線乗り継ぎにはご注意

台湾新幹線には「高雄」の駅名は有りません、「左営」という駅名になっています。そしてややこしいのは、新幹線に連絡している在来線の駅名は「新左営」です。

恒春半島など高雄南部に遊びに行き在来線から新幹線に乗継ぐ場合は要注意です。在来線の「高雄」を通り過ぎ「左営」駅の次駅「新左営」が新幹線の駅です。南部からの在来線の駅順 :「高雄」」⇔「左営」⇔「新左営」

新幹線を降りMRTで市内に向かうのは何もややこしくありません!

台北の民宿「ペンション悠遊村」


2012年6月11日月曜日

LCCで台湾は安近楽の国になりました。

6/9日からお越しになられたお客様は2010’7月に関空⇔台北に就航したJetstarを利用されていました。

そうゆう私も就航1か月目の8月の帰国時に利用して以来Jetstarを利用しております。とにかく安いのが魅力だ。機体メンテナンスの効率化、機内食、飲み物サービスは無し、パソコンからの購入のみ等々、無駄を排除した結果の低価格料金だ。考えてみれば関空~台北間、2.5時間程度のフライトで離陸し水平飛行に、はいるやいなやの機内食サービス、遠慮しながら申し込む御代りの酒、いりまへんやろ。欲しければ金を出せば良いではないか。アサヒビールはS$6(≒¥380)、サンドイッチもS$6、合わせても800円ばかりだ。

以前に利用していた航空会社では、不必要なサービスを提供され関空~台北間、¥45,000程度は必要だった。(航空会社は?)。前回帰国時の購入チケット勿論Jetstarだ。料金は往復¥29,000、国内旅行なみだ。

9月にはピーチ航空も関空⇔台北に参入すると言う事ですし、これに清潔な宿泊施設を組み合わせれば、台湾は日本から一番近い安近楽の外国になりますね。

台湾のかき氷屋さん

日本のひと昔前の夏の風物詩と云えば打ち水をされた庭先の縁台で風鈴を聞きながら食べる西瓜にカキ氷でした。今は昭和は遠くになりにけりです。

こんな風情とは別物の冰屋さんが台湾には有ります。数十種のSweetsが並べられたショーケースから好みのものを選びその選んだ数によって値段が決まるシステムだ。4種類のトッピ゚ングを選んでも¥200もあれば十分です。





夏も冬も賑わうsweet店。ずらりと並んだ甘党の喉をならす具材の中から好きな物を選んで食べるシステムだ。夏なら当然かき氷を食べるところだが寒さを感じる今日は温泉帰りの小腹を満たすため台湾風「ぜんざい」を食べた。こちらでは「紅豆湯」と言う。水かけ不動さんの夫婦善哉を食べなれている私には水ぽっいかな。


台湾発信の日本語版サイト

ここのところ相次いで台湾発信の日本語版サイトが開設され、台湾の政治、経済、外交、文化、観光情報などが発信されております。

◎台湾の行政院新聞局のニュースサイト「Taiwan Today」
◎中央通信社のサイト「フォーカス台湾」
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2012年6月10日日曜日

ジャコウ豚のお散歩




早朝「士林官邸」コースを散歩中、久しぶりに出会ったペットがお喋りをしてくれました。





「オッス、ワテは犬と違うで~!ワシは隣島の沖縄生まれの豚や~。沖縄から台湾にきて早や10年経ってもうたわ。 せやけど、毎日毎日、南国フルーツ食べさせてもろうて極楽極楽や!ほんま、ええ国やわ~。」
「あんた、ワテを触ってもええよ!  どや~、ええ匂いやろ~。 わしが麝香豚と云うもんや、覚えとき! 今日一日中、ワシの匂いから逃げられへんで~。ワシのおかんが大阪出身やさかい喋るのが大阪弁になってまうねん。しゃないわな~。」

2012年6月9日土曜日

私立静修女子高級中学  非武装抗日民族運動の橋頭堡

MRT雙蓮駅より徒歩10分程度の距離に「台湾文化協会」発祥の地があります。
私立静修女子高級中学の前身、私立静修女子高級女学校がカトリック・ドミニク修道院によって1916年(大正5)4/1に創立された。更に、この地に台湾文化の発達を目的とした台湾文化協会が1921年(大正10)に創立された。協会は会報発行、講習会、映画、新劇などを通した民族意識の啓蒙教化運動が行い非武装抗日民族運動の橋頭堡となった。
2人の日本人校長↴
1936年(昭和11)~1941年の第三代校長小宮元之助。
1941年(昭和16)~1945年昭和16年)の第4代校長鈴木譲三郎。

明石元二郎の墓前に立っていた鳥居

林森北路と南京東路の交差点に面した「林森・康楽」公園に国立台湾博物館(二二八和平公園)の敷地内から2010’11月、13年振りに里帰りしていた。移築は地元、康楽里の里長「王金富」氏の発案を地元市会議員が奔走し実現させた。発案者の里長は、墓の縁故者であろう沢山の日本人がここを訪れていた過去を知っており、昔を偲ばせる物が設置したかったという事だ。

大きい鳥居は第7代総督「明石元二郎」の墓前に建っていたもの。小さい鳥居は第3代総督乃木希典の母「寿子」の墓前に有ったと言われているが、柱には昭和10年という刻銘、それと子供の頃、墓地を遊び場にしていた地元の老人は乃木希典総督の母の墓前には鳥居は無かったと証言しているので別人のものと推測された。


その後、研究者の調査により大鳥居は第8代総督「田健治郎」によって、「明石元二郎」総督の1920年の忌日に合わせ建てられた事が確認され、小鳥居のほうは総督の秘書官「鎌田正威」の物だと、古い写真や地元の古老の証言から確認された。又、墓地には3基の鳥居が有ったが1990年代には2基になっていた。
公園は清朝時代は兵舎、日本時代は第3代総督乃木希典の母「寿子」が1896年ここに埋葬されて以来、日本人専用墓地(三板橋墓地)になった。戦後は大陸から来た軍民によって占拠され1000軒を超すバラックが建っていた。1997年台北市政府(陳水扁市長時代)に、バラックは撤去され公園として整備、墓地は掘り起こされ、多くは台中の宝覚禅寺(金色の大仏で有名)に埋葬された。明石元二郎の遺骨は楊基銓・劉秀華 夫妻により台北県三芝郷福音山クリスチャン墓地に改葬された。
「明石元二郎」総督は大演習視察の為の一時帰国中の洋上で病気になり、郷里福岡で亡くなりましたが、遺言に従い遺骸は台湾に埋葬された。歴代総督のうち唯一、台湾に埋葬された人となる。

二二八和平公園に鳥居が有った時は、プレートは鳥居の様式説明であったが、ここでは史実を忠実に記したプレートが立っている。

2012年6月6日水曜日

北投「貴子坑郷村倶楽部」

温泉で有名な北投に、スイミングプール、ゴルフ練習場、温泉、レストラン、ワインルーム等が併設された娯楽施設が有ります。しかも狭い敷地にこれらのものを詰め込んだ状態ではなく一つ一つがゆったりとしたスペースです。
お子さんをプールで遊ばせ自分はゴルフの練習、家族で温泉浴、綺麗なレストランで台北の夜景を見ながらの食事、食後は場所を移し夜景を見ながらワインで大人の時間、いいですよ。

写真↴

2012年6月1日金曜日

四国松山「萬翠荘」と台北「台湾総督府官邸」

日露戦争(1905’M38)を陸海で勝利に導いた秋山好古、真之兄弟や正岡子規が少年期を過ごした松山を今年の初春、亡き長兄が少年期を過ごした四国香川を長兄を偲び訪れた。

以前の私なら見過ごしたであろう【萬翠荘】という明治大正のロマンが感じ取れる建築物に出会い感激です。同じ薫りのする建築が台北にも有るんです、続きをご覧ください。


【萬翠荘】松山藩主の子孫久松定謨伯爵の別邸。木子七郎の設計で1922年(T11)に建築された、ネオルネッサンス様式の格調高い建物です。

【台湾総督府官邸】
森山松之助の設計によりネオ・ルネッサンス様式の美しい建物が1911年(M44年)に竣工した。



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八田與一の記念切手アルバム

八田與一の功績を讃える記念切手アルバムが台湾の郵局から発売された。A4大の3頁見開きに切手10枚、葉書6枚、封筒1枚、功績を讃える説明書き、これでNT220。
発売と同時に完売するほどの人気で、私は郵便局の友人にお願いし入手しました。







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